極真空手の歴史はまさに大山倍達の歴史でもある。1954年、東京・目白に現在の極真会館の原型となる
大山道場が開設されてからおよそ半世紀。その波乱の歴史を振り返る




1953年に大山が初めてのアメリカ遠征を行うまでの30年間は、彼の過酷な修行の時代と言っていい。
それは極真会館誕生までの胎動期でもあった。

年 月   大山倍達 略歴 及び 極真会館の歩み
1923年 7月   始祖・大山倍達 生誕(旧東京市)
1925年 3月   姉を頼り旧満州へ渡航(その後、韓国へと移住)
1936年 4月   韓国ソウルの小学校に入学。当時より「十八手」の中国拳法を学び、中学2年で初段を取得
1939年 3月   日本に戻り、山梨少年航空学校入学
9月   松涛館空手・船越義珍師に入門
1941年 4月   拓殖大学入学。空手2段を取得。まもなく太平洋戦争により学徒出陣
1945年 9月   終戦により復員。東京都杉並区天沼町に「永和空手道研究所」を設立
1946年 4月   早稲田大学体育科入学
10月   山梨県身延山に山ごもり。昼夜空手の修行に明け暮れる
1947年 9月   戦後初の全日本空手道選手権(京都・円山公会堂)に出場し、見事優勝
1948年 4月   千葉県清澄山に入山。18ヶ月の修行を敢行
1950年11月   千葉県館山で牛と格闘対戦すること47度。うち4頭を一撃で撲殺。これにより「牛殺し大山」の伝説が生まれる
1951年5月   米軍の要請により進駐軍兵士に空手を指導。座間、府中、横須賀など多くのキャンプを廻る
7月   異種格闘技戦を想定し、柔道の修行を開始。阿佐ヶ谷の曽根道場に入門し、のち四段を取得
1952年 3月   全米空手協会に招かれ、初のアメリカ遠征。11ヶ月に渡り、全米32ヶ所で空手の指導とデモンストレーションを披露。この間、プロレスラーなどと真剣勝負に及ぶこと7度。不敗
1953年 4月   アメリカ再訪。シカゴで牛と格闘し、一撃でこれを撃破。その名を全米に知られることとなるその後、数年にわたり、ヨーロッパ、南米、アジアを歴訪。他流試合をこなしながら空手の普及に努める
     
      
 

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