1923年 7月 | | 始祖・大山倍達 生誕(旧東京市) |
1925年 3月 | | 姉を頼り旧満州へ渡航(その後、韓国へと移住) |
1936年 4月 | | 韓国ソウルの小学校に入学。当時より「十八手」の中国拳法を学び、中学2年で初段を取得 |
1939年 3月 | | 日本に戻り、山梨少年航空学校入学 |
9月 | | 松涛館空手・船越義珍師に入門 |
1941年 4月 | | 拓殖大学入学。空手2段を取得。まもなく太平洋戦争により学徒出陣 |
1945年 9月 | | 終戦により復員。東京都杉並区天沼町に「永和空手道研究所」を設立 |
1946年 4月 | | 早稲田大学体育科入学 |
10月 | | 山梨県身延山に山ごもり。昼夜空手の修行に明け暮れる |
1947年 9月 | | 戦後初の全日本空手道選手権(京都・円山公会堂)に出場し、見事優勝 |
1948年 4月 | | 千葉県清澄山に入山。18ヶ月の修行を敢行 |
1950年11月 | | 千葉県館山で牛と格闘対戦すること47度。うち4頭を一撃で撲殺。これにより「牛殺し大山」の伝説が生まれる |
1951年5月 | | 米軍の要請により進駐軍兵士に空手を指導。座間、府中、横須賀など多くのキャンプを廻る |
7月 | | 異種格闘技戦を想定し、柔道の修行を開始。阿佐ヶ谷の曽根道場に入門し、のち四段を取得 |
1952年 3月 | | 全米空手協会に招かれ、初のアメリカ遠征。11ヶ月に渡り、全米32ヶ所で空手の指導とデモンストレーションを披露。この間、プロレスラーなどと真剣勝負に及ぶこと7度。不敗 |
1953年 4月 | | アメリカ再訪。シカゴで牛と格闘し、一撃でこれを撃破。その名を全米に知られることとなるその後、数年にわたり、ヨーロッパ、南米、アジアを歴訪。他流試合をこなしながら空手の普及に努める |