関西総本部沿革


1978(昭和53)年10月
大山総裁の命を受け、岩村博文師範が大阪市福島区に道場開設。80年からは指導員として総本部より津浦伸彦師範らが派遣される。当時の名称は「総本部直轄大阪道場」
当時の審査風景。総裁の隣が岩村五段

当時の審査風景。総裁の隣が岩村五段

組手では総裁の檄が飛ぶこともしばしばだった

組手では総裁の檄が飛ぶこともしばしばだった


1979(昭和54)年4月
岡田幸雄・現関西総本部師範が少林寺から転向し極真会館入門。
その後、名称が「極真会館関西本部」と変更され、初代本部長に津浦伸彦師範が就任。その補佐役として岡田師範が抜擢され大山総裁より「関西本部・相談役」を任命される
草創期の大阪道場。東京以外で初の総本部直轄道場であった

草創期の大阪道場。東京以外で初の総本部直轄道場であった


1987(昭和62)年3月
大阪市東成区に「みどり橋道場」オープン。以後、大阪各地に道場が開設され、極真空手発展の足場となる

1988(昭和63)年6月
大山総裁より津浦師範を東京本部に戻す旨の相談を受ける(津浦師範は大山総裁の娘婿)。その際、岡田師範が次期関西本部長就任を打診されるが、仕事上の都合によりそれを保留(立会人:長谷川一幸師範、津浦伸彦師範)。
大山総裁を中心に向かって左が岡田師範、右が津浦師範

大山総裁を中心に向かって左が岡田師範、右が津浦師範


1989(平成元年)
大阪市北区中崎町に二度目の道場移転

1994(平成6)年
大山総裁死去。その後、津浦師範と岡田師範が協議の結果、大山総裁の生前の要望通り関西本部の継承を岡田師範に委託することを決定。岡田師範が第2代関西本部長となる(津浦師範は独立。「極真大山空手」を設立)

1995(平成7)年1月
極真会館分裂騒動勃発。派閥抗争とは一線を画し中立を保つ意味で、旧関西本部(松井派)と別行動を行うことを選択。「関西総本部」を立ち上げる

1996(平成8)年4月
第1回大阪城杯全日本少年少女空手道選手権大会開催。以降、毎年夏に行われる

1996(平成8)年9月
第1回大阪城杯夏の陣(冬の陣)開催。以降、毎年、夏冬の2回行われる

2001(平成13)年12月
全日本極真連合結成にともない、連合に加盟

2003(平成15)年3月
関西総本部新道場竣工。関西一円の道場の拠点となる
新道場の道場開き風景

新道場の道場開き風景

道場開きでは多数の来賓を迎えた

道場開きでは多数の来賓を迎えた

新道場の正門

新道場の正門


2006(平成18)年7月
寺浦克敏が念願の全日本ウエイト制選手権重量級初制覇
決勝・対島尻戦

決勝・対島尻戦

右から岡田師範、優勝した寺浦、4位(重量級)當

右から岡田師範、優勝した寺浦、4位(重量級)當