1969〜1987 激動期

1969年、ついに念願の第1回全日本選手権が開催される。これ以降の15年間は、積極的なメディア対策が功を奏し、数度の極真ブームが到来。世界大会の影響もあり、日本中に「キョクシン」の名前が知られるようになった。
年 月大山倍達 略歴 及び 極真会館の歩み
1969年 9月東京体育館にて第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。7000人を超える観客を集める(以後、毎年開催)。他流派に加え、キックボクサー、柔道家などが挑戦するが、極真勢が上位を独占。初代チャンピオンは山崎照朝。
1971年少年マガジン誌上にて、梶原一騎原作「空手バカ一代」連載スタート。爆発的ヒットを記録し、極真空手ブームが巻き起こる
26573スペインのカルロス皇太子(のちの国王)が来館。名誉3段が贈られる
1974年 5月来日中のイラン・シャーラム皇太子夫妻に演武を披露。名誉2段を贈呈
27699第1回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催(東京体育館、観客7000人)。世界36カ国から128名の選手が参加。初代世界チャンピオンは佐藤勝昭。以後、4年に一度開催される
1976年 5月極真空手のドキュメンタリー映画「地上最強のカラテ」が封切り。史上空前の大ヒットとなる
1979年 7月東京・麻布の旧ソ連大使館において大演会を挙行。この実績がのちのソ連科学アカデミー認定につながる
29160大山総裁、ヨルダン王室より勲章を授与される
1981年 6月第1回東南アジア選手権大会開催。サウジアラビアのファイサル皇太子来館
9月第1回南米選手権大会開催
1983年 6月旧共産圏で初の大会、第1回ハンガリー選手権大会開催
12月ネパールのディエンドラ皇太子来館
1984年 1月大山総裁、ブラジルより文化功労賞を授与される
4月大山総裁、田中角栄元首相と対談。
大阪にて極真会館初の体重別大会、第1回全日本ウエイト制空手道選手権大会が開催される。初代王者は軽量級・大賀雅裕、中量級・柿沼英明、重量級・七戸康博