極真空手とは始祖、故・大山倍達によって生み出された世界初の直接打撃制の空手である。
近世以降、形骸化あるいはスポーツ化された空手に対し、武道本来がもつ実戦対応能力の重要性を提唱。KOで勝負が決まる単純明快な勝負論を基に、それまで主観的とさえ言われた勝敗の機微を、誰にでもわかる客観的なものとした。
「極真」の名称は「武の道は千日を以って初心とし、万日を以って極みとする」という武道の格言からきている。そこには完成はないと言われる武道の真髄を極めたいという大山の願いが込められている。
  ”極真”とは武の真髄を極めよという始祖・
  大山倍達の教えでもある


かつて大山が何度も口にしていた、「力なき正義は無力なり。正義なき力は暴力なり」という言葉。
現代社会に応用すれば、「口先だけでなく、実力の裏付けを持つ行動力のある人間になれ」ということであろうか。
武道の本義は厳しい稽古を己に課し、その修練を通して確固たる人格形成をなすこと。
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」という極真の精神は、そういった日々の修行の中で我々が目指すべき人間としての普遍の理念である。





「極真すなわち我が大志なりだ。ゆえに我事においては
後悔せず」大山倍達
1923年、東京生まれ。戦後初の全日本空手道選手権大会に優勝後、数度の山ごもり修行や猛牛との対戦を敢行。異端児扱いされながらも、当時タブーとされていた直接打撃制を提唱し、その普及に努める。「国際空手道連盟極真会館」創設者。
「空手こそ地上最強の格闘技」の信念のもと、30代から世界各国へと武者修行を行い、「マス・オーヤマ」の名で無数の他流試合を体験。己の身をもって日本空手の強さを実証した。
ビール瓶を手刀で切り、自然石をも砕いたその手は、世界中で「ゴッド・ハンド(神の手)」と呼ばれ、大山の代名詞ともなる。1971年、その彼の生き様をもとにした劇画「空手バカ一代」(原作:梶原一騎)が発表されるや、日本でも極真が大ブーム、空手人気を不動のものにしていった。
極真会館からは数々の卓越した弟子たちが育っていったが、彼ら大山の遺伝子たちが海外に広めた「キョクシン」は、国境、言葉、宗教そして人種の壁を超えて、今や全世界あわせて会員数1200万人以上。まさに世界最大の空手団体となった。国内においても、極真会館はフルコンタクト空手界の総本山とも言うべき存在。
その大きな木の幹から芦原会館、大道塾、士道館、真樹道場、佐藤塾、そしてK−1の正道会館など数々の諸流派が生まれたが、その意味において、大山倍達は全ての空手家の父とも言える。昨今、日本では空前の格闘技ブームが起こっているが、その源流も元を辿れば、大山に行き着く。
柔道の木村政彦、プロレスの力道山と並び、大山倍達は戦後日本が生んだ3大格闘家の一人であろう。
1994年4月26日逝去。享年71歳。生涯現役を貫き通し、病床に倒れる直前まで修行に身を投じた。

  「私には極真の歴史は書けないよ。私は死ぬまで極真のカラテ家だもの」(大山倍達)




一、武の道は礼にはじまり礼に終わる。よって常に礼を正しくすべし
ニ、武の道の探求は断崖をよじ登るがごとし。休むことなく精進すべし
三、武の道においてはすべてに先手あり。しかれども私闘なし
四、武の道においても金銭は貴いものなり。しかれども執着すべからず
五、武の道は姿なり。何事においても常に姿を正しくすべし
六、武の道においては千日を初心とし、万日の稽古を以って極とす
七、武の道における自己反省は、常に練達への機会なり
八、武の道は字のためにあるものなり。修練にて私心を忘れるべし
九、武の道においては点を起とし円を終とす。線はこれに付随するものなり
十、武の道において真の極意は体験にあり。よって体験を恐れるべからず
十一、武の道において信頼と感謝は常に豊かなる収穫を得ることを忘るべからず

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